【191023】観た:『イエスタデイ』
あのサビ、「オブラディ・オブラダ」って言ってたんだ。
『転生したらビートルズのいない世界だった件について ~チート楽曲で大出世~』やんけ、プロモーションもちょっと安っぽくない?とか正直ちょっとナメて観に行ったら、思いのほかリスペクトと良心に溢れていて、すごく気持ちのいい映画であった……。転生?するのに冒頭10分で主人公がバスに撥ねられたのには笑っちゃったけど。ハリウッドでも異世界転生するときは車に轢かれるならわしなのかな。 文化人類学じゃないか。
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『イエスタデイ』をすごく爽やかに感じてしまう理由を考えていたら、ふと、ビートルズのメンバー本人たちを「描いていない」というところなんじゃないかと気づいた。ビートルズ、いなくなってる世界だし。
『ボヘミアン・ラプソディ』『ロケットマン』がフレディ・マーキュリーとエルトン・ジョンをいかに等身大、かつ偉大なアーティストとして描くかということがいわばメインテーマ ――彼らおよびその人生人格音楽的才能は素晴らしかった!!的な―― だったのに対して、『イエスタデイ』の筋書きは、ビートルズが「存在しなかった」世界で主人公ジャックがその楽曲を発信するというもの。
本人たちが「いない」という設定、影絵みたいに彼らの存在感を浮かび上がらせつつシンプルに楽曲そのものに対するリスペクト度も伝わる作りになっていて、これってめちゃくちゃ妙手なんじゃないか、と。『ボヘミアン・ラプソディ』も『ロケットマン』もそりゃあ素晴らしかったけど、ひねくれ者の我々は、半分は「美談に仕立ててきたな…」という冷めた目で観てしまうわけで…。
ネタバレなので詳細は伏せるけど、物語の佳境でそれ(楽曲に対するリスペクトの姿勢)が決定的になるシーンがあって、『イエスタデイ』がどういう映画なのかに気づけるようになってるのもかなりうまくてずるい。ビートルズが消えた世界でその楽曲をパクってる歌手がいたとして、マジのマジでビートルズの楽曲を愛していたらそういう感情が働くよな、、そうだよな、、と……。愛とは欲することじゃなくて与えることなんですよ。フロムが言っていた。
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ビートルズといえば結構前にTwitterで流れてきたこれ、めちゃくちゃやりたいなと思っている。どこのイベントだったんだろう。
今日ネットで偶然見かけたイベントが、ビートルズ以前のヒット曲を延々と掛けて最後にビートルズを流して当時衝撃を追体験するといった内容で、もうその発想だけで一人でめちゃくちゃ面白くなってしまった。
— ゆでめん (@yudep) December 4, 2017